箱型擁壁トピックス-出雲大社2

箱型擁壁トピックス-出雲大社2

箱型擁壁トピックス-出雲大社2

はじめに

出雲大社では2008年4月 20日に、大国主大神様(おおくにぬしのおおかみさま)を御本殿(ごほんでん)から御仮殿(おかりでん)(拝殿 はいでん)に遷す(うつす) 「仮殿遷座祭(かりでんせんざさい)」が開催されました。その後、本殿(ほんでん)の修復や本殿大屋根(ほんでんおおやね)の葺(ふ)き替え工事を行う「平成の大遷宮(だいせんぐう)」が進められました。今回の遷宮(せんぐう)は、前回行われた 1953 年(昭和 28 年)の修造(しゅうぞう)以来、実に 60 年ぶりになります。今年の 5月 10日の夜19:00からは、天皇陛下の勅使(ちょくし)様や氏子(うじこ)ら約 1万2000人が見守る中、「本殿遷座祭(ほんでんせんざさい)」が厳粛に執(と)り行なわれ、御仮殿(おかりでん)に遷(うつ)られていた大国主大神様(おおくにぬしのおおかみさま)が新しくなった御本殿(ごほんでん)にお還りになられました。神事(しんじ)は提灯(ちょうちん)以外の明かりが落とされて行われ、神輿(みこし)に載ったご神体(しんたい)は「絹垣(きぬがき)」と呼ばれる白い幕で囲まれてゆっくりと御本殿(ごほんでん)に入られました。
ご存じの方もおられるかも知れませんが、今年の 10月には日本を代表する三重県伊勢市にある伊勢神宮で、20 年に一度の「式年遷宮(しきねんせんぐう)」が開催されます。今年で第62回の遷宮(せんぐう)になるそうです。偶然にも出雲大社と伊勢神宮で行われる二大神事(しんじ)が、今年の春と秋に重なるとは本当に驚きです。めったにない記念すべき年ですので、この機会に出雲大社と伊勢神宮へ参拝してみられてはいかがでしょうか。
今年の春号から連載してきました出雲大社の取材も今回で3回目となり、最終回をむかえました。今回は、出雲大社の「平成の大遷宮(だいせんぐう)」と伊勢神宮の「式年遷宮(しきねんせんぐう)」の違い、修復された出雲大社の様子などについてご紹介します。

出雲大社(島根県)

本殿遷座祭(下り参道)

特設ステージの中で本殿遷座祭を拝見

出雲大社の「平成の大遷宮」と伊勢神宮の「式年遷宮」の違い

「遷宮(せんぐう)」という言葉の意味を辞書で調べてみると、「神殿(しんでん)の改築・修理の前後に神霊(しんれい)を仮殿(かりでん)、または本殿(ほんでん) へ移すこと」と書かれています。簡単に言うと神様のお引っ越しといったところでしょうか。しかし、同じ「遷宮(せんぐう)」でも出雲大社の「平成の大遷宮(だいせんぐう)」と伊勢神宮の「式年遷宮(しきねんせんぐう)」には、その目的と内容に大きな違いがあります。

大社勢溜(せいだまり)の正面鳥居前

出雲大社大駐車場近くの看板

JR出雲市駅構内
まず「遷宮(せんぐう)」を行う目的ですが、出雲大社の場合は、御本殿(ごほ んでん)が巨大であったため度々倒壊していたそうです。そのため、倒壊した建物を復元するために「遷宮(せんぐう)」をする必要があったのではないかと言われています。伊勢神宮の場合は、常に神社は清浄で新鮮な環境の中で祀る(まつる)べきものという考え方があったため、「遷宮(せんぐう)」を行い建物を新しくする必要があったと考えられています。式年(しきねん)という言葉が「遷宮(せんぐう)」の前に付きますが、これは「定期的に行う」という意味になるそうです。木造建築の耐久性や建築技術の次世代への継承などの理由から、20 年に一度「遷宮(せんぐう)」が行われるようになったと言われていますが、はっきりしたことは分かっていません。

出雲大社御本殿の復元模型

出雲大社の巨大本殿

八足門(やつあしもん)前の
巨大本殿の柱跡
次に、遷宮(せんぐう)の内容ですが、出雲大社の場合は、檜皮葺(ひわだぶき)屋根を全面的に葺(ふ)き替えますが、御本殿(ごほ んでん)そのものは新調せずに古い建築部材をできるだけ残しながら、傷んだ部材だけを取り替えて修理を行います。御本殿(ごほんでん)の修造(しゅうぞう)が整うのに 5年、すべての境内(けいだい) ・境外(けいがい)の摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)の修造(しゅうぞう)が整うまでには 8年の月日がかかり、総事業費は80億円と言われています。
一方、伊勢神宮の場合は、内宮(ないくう)・外宮(げくう)ともそれぞれ隣の場所に同じ広さの敷地があり、その場所に同じ形の社殿(しゃでん)を新しく造り替えます。また、建物の内外を飾る装飾品や御装束 ごしょうぞくや御神宝(ごしんぽう)など1500点すべてを新調します。そのため、準備期間を含め 8年の月日と550億円もの費用がかかるそうです。出雲大社の「平成の大遷宮(だいせんぐう)」は、伊勢神宮の「式年遷宮(しきねんせんぐう)」のように多額の費用はかかりませんが、大がかりな工事であることに違いはありません。これだけの費用を工面するのは大変だと思いますが、伊勢神宮がある三重県出身の奥田碩(ひろし)(トヨタ自動車取締役相談役)氏が「平成の大遷宮(だいせんぐう)」の音頭をとられているようです。出雲大社の境内(けいだい)に立つ看板を見ると、その中に奥田碩(ひろし)氏の名前を見つけることができます。

銅鳥居前の看板

奉参者御芳名

<絵馬と御神木/td>

出雲大社の「平成の大遷宮」を支えた、職人の技

2008年の春に仮殿遷座祭(かりでんせんざさい)が開催された後、その年の暮れから御本殿(ごほんでん)を覆う建物の建設が始まり、翌年 9 月には大屋根(おおやね)の上に載る千木 (ちぎ)と勝男木(かつおぎ)の取り下ろし作業が行われました。千木(ちぎ)は屋根の両端で交差している部材で、その長さは 8mほどあります。勝男木(かつおぎ)は屋根の上に平行に並べられた部材のことで、その長さは 5.45m、周囲は2.67m、重さは 1本 700kg もあるそうです。続いて、総重量が 40t を超える檜皮葺(ひわ だぶき)の解体作業が行われました。御本殿大屋根(ごほんでんおおやね)の上にどのような方法で檜皮(ひわだ)が葺(ふ)いてあるのか、一つ一つ確認を行いながら解体されたそうです。というのも、伊勢神宮の式年遷宮(しきねんせんぐう)は 20年に一度行われるため資料や口頭で技術を伝承することができますが、出雲大社の場合は60年に一度行われるため技術の伝承が難しく、そのため解体する前に檜皮(ひわだ)の葺(ふ)き方をあらかじめ把握しておく必要があるのです。出雲大社の御本殿(ごほんでん)の大屋根を覆っている檜皮(ひわだ)は、樹齢 70~80 年以上経った檜(ひのき)の立木から採取されます。檜(ひのき)は建物資材として非常に優れており、神社や仏閣を建てるための木材として適しているそうです。木が持つ優れた特長を活かし利用してきた先祖の知恵には、本当に感心させられます。ここで余談になりますが、今年の 3 月に出雲大社に取材に行った際、偶然にも御本殿(ごほんでん)を 60年間守ってきた大屋根(おおやね)の檜皮(ひわだ)古材を拝観記念品として頂きました。貴重な品ですので、お守りとして大切に保管しておこうと思います。

巨大な千木と勝男木

国宝 出雲大社 御本殿大屋根

拝観記念品

御本殿を 60年間お守りした
檜皮古材
檜皮葺(ひわだぶき)の解体作業が終わると今度は各部材が傷んでいないか詳細に調査が行われ、傷みの程度が大きい部材は取り替えられます。今回の修造(しゅうぞう)では、震災被害のあった東北地方の木材も使用されたそうです。檜皮(ひわだ)の葺き替えに使用される檜皮(ひわだ)は兵庫県や岡山県などから調達されその数は 64 万枚にも達し、独特の形をした専用の「檜皮包丁(ひわだぼうちょう)」で厚さ約 1.5mm の形に整えられた後、専門の「葺師(ふきし)」がすべて手作業で大屋根の面積約 180坪(約 600m2)の上に一枚一枚丁寧に重ねていきます。檜皮(ひわだ)は木の内側の面を外側にして重ねられ、「屋根金鎚(かなづち)」と呼ばれる専用の道具を使って竹釘(長さ:約 2cm、径:約 2mm)を打ち込み固定されます。鉄釘はすぐに腐食してしまうため使われません。檜皮葺(ひわだぶき)に使用される竹釘の数は、1坪(3.3m2)当たり 2400~3000本と言われています。あまりにも膨大な数に驚きます。「屋根金槌(かなづち)」は棒の先に四角い鉄がついた不思議な形をしています。一般的な「T」の形をした金槌とは全然違います。これは、職人さんが左手で檜皮(ひわだ)を押さえ金槌(かなづち)を持った右手で口にくわえた竹釘を取る際に金槌(かなづち)の先が「T」の形だと顔に当たって邪魔になるため、このようなでっぱりのない形をしているそうです。葺き替えられた厚さ 1mもある檜皮葺(ひわ だぶき)の屋根は、こうした職人たちの巧みな技術によって成り立っています。なお、一連の作業工程は、60 年前にはなかった現代の記憶メディアに保存され、次の遷宮(せんぐう)のために残してあるそうです。

檜皮包丁による整形作業

不思議な形をした「屋根金槌」

竹釘で固定された檜皮葺
御本殿(ごほんでん)大屋根(おおやね)だけでなく、今回の修造(しゅうぞう)では千木(ちぎ)や勝男木(かつおき)、鬼板(おにいた)(棟の両端に鬼瓦の代わりに取り付ける板)には炭を混ぜた「黒ちゃん」が、破風(はふ)の錺 かざり金具には緑青(ろくしょう)を混ぜた「緑ちゃん」が塗られ新しくなりました。雄大で見事ですね。ちなみに、出雲大社は男神を祀 まつる社であるため、千木(ちぎ)の先は垂直に切られる「外削(そとそぎ)」となっています。 御本殿(ごほんでん)の周囲に設けられている縁の下を支える一辺 40cmの正方形をした柱・本殿縁束(ほんでんえんづか)も新しく取り替えられました。本殿縁束(ほんでんえんづか)を取り外すと、そこには「昭和 24年度、 25年度補修」と焼き印が刻み込まれており、施工を行った職人の名前も記されていたそうです。職人たちの誇りと歴史を感じさせられます。

ちゃん塗りが施された本殿の大屋根

縁の下の柱 本殿縁束

やもみじの形が彫られた八足門
この他にも、必要に応じて建物の細かな部分が修繕されました。その一つが本殿(ほんでん)の南正面に位置する八足門(やつあしもん)(国指定重要文化財)の表面に施された彫刻です。八足門(やつあしもん)は現在の御本殿(ごほんでん)よりも古く、徳川家綱(いえつな)が江戸幕府の第 4 代将軍として在職されていた 1667年時に建てられました。その八足門(やつあしも)んの表面に施されている「波」や「もみじ」を表現した彫刻は、日光東照宮の眠り猫などで有名な江戸時代の名工・左甚五郎(ひだりじんごろう)の作と伝えられおり、荘厳な雰囲気を漂わせてきました。しかし、長年の風雨などにより痛みが進み欠け落ちてきたため、今回の「平成の大遷宮(だいせんぐう)」で欠損箇所が復元されました。 外からは見ることができませんが、八足門(やつあしもん)の東にある観祭楼(かんさいろう)(国指定重要文化財)もじつは修理が行われています。観祭楼(かんさいろう)はもともと、外で行われる舞楽(ぶがく)などを見るために使われていたそうです。しかし、2 階内部の北、東、西の壁に施されていた和紙が年月とともに劣化してきたため、今回、新しく張り替えられました。残念ながら観祭楼(かんさいろう)の中を見ることはできませんが、観祭楼(かんさいろう)の前に立って和紙と木のぬくもりが醸(かも)し出す伝統建築の雰囲気を想像してみるのもいいかもしれません。本殿(ほんでん)の大規模な改修が終わると、本殿(ほんでん)の回りを厳重に囲っている、玉垣(たまがき)(総延長:約 160m)や、端垣(みずがき)(総延長:約 230m)も修繕されて新しくなりました。

修繕が終わった八足門前

修繕が終わった観祭楼

>修繕が終わった端垣の檜皮葺

新しく蘇った出雲大社の御本殿

出雲大社は一般に「いずもたいしゃ」と呼ばれていますが、正式名称は「いずもおおやしろ」と言います。出雲平野の中央ではなく海に近い杵築(きづき)の地に建てられているため、明治初期頃には「杵築(きづき)大社」と呼ばれていたそうです。出雲大社は北側に八雲山(やくもやま)、西側に鶴山(つるやま)、東側に亀山(かめやま)と三方を山に囲まれ、西側には素鵞(そが)川、東側には吉野(よしの)川が本殿(ほんでん)に沿って流れています。御本殿(ごほんでん)の回りを発掘すると、古墳時代の勾玉(まがたま)や臼玉(うすたま)など、古代祭祀(さいし)にかかわる呪具(じゅぐ)や祭具(さいぐ)がたくさん出土するそうです。出雲大社の拝殿(はいでん)と御本殿(ごほんでん)は離れており、御本殿(ごほんでん)は玉垣(たまがき)、端垣(みずがき)、荒垣(あらがき)の 3 つの垣根で囲まれています。荒垣(あらがき)の中(銅の鳥居の内側)を境内(けいだい)と呼び、誰でも参拝することができますが、端垣(みずがき)の中に入るには事前予約が必要で、玉垣(たまがき)の中へ入れるのは出雲國造(いずもこくそう)(宮司(ぐうじ))のみに限られています。そのため、残念ながら御本殿(ごほんでん)の全貌を間近で見ることはできません。

山々に囲まれた出雲大社

出雲大社の西側を流れる素鵞川


大社の東側を流れる吉野川

本殿を囲む荒垣

本殿を囲む端垣
出雲大社の御本殿(ごほんでん)は「大社造(たいしゃづくり)」と呼ばれる日本最古の神社建築様式で、切妻造(きりづまづくり)で妻入(つまいり)となっています。「大社造(たいしゃづくり)」は、間口(まぐち)と奥行きの幅が同じ(約 11m)正方形をした「田の字」形の高床建物が特徴で、祭祀(さいし)に使われていた宮殿に由来すると言われています。伊勢神宮の御本殿(ごほんでん)は「神明造(しんめいづくり)」で切妻造(きりづまづくり)の平入(ひらいり)です。奥行きより幅が広い長方形をした建物が特徴で、高床式の穀物倉庫の形が由来していると言われています。切妻造(きりづまづくり)とは、屋根の形状が本を伏せたような山形の形状を指しています。また妻入(つまいり)とは、屋根の棟(むね)と直角の方向の面に出入り口が設けられていることを言い、平入(ひらいり)とは棟(むね)と平行な面に出入り口があることを言います。

端垣の隙間から玉垣を拝見

国宝 出雲大社(東側)

>国宝 出雲大社(西側)

出雲大社境内配置図
出雲大社の御本殿(ごほんでん)の中は約60 畳の畳敷(たたみじき)となっており、直径1.1mもある「心御柱(しんのみはしら)」を中心に前面と背面の中央に立つ 2本の宇豆柱(うづ ばしら)など全部で 9 本の柱で大屋根(おおやね)を支えています。前面中央に宇豆柱(うづばしら)があるため、階段は中央より右側に寄せて設けられています。御本殿(ごほんでん)には色々と不思議なことがあります。たとえば、内部の天井には「八雲(やくも)」と呼ばれる雲の絵が描かれていますが、実際に描かれているのは七つの雲だけだそうです。また、御本殿(ごほんでん)の中の大国主大神様(おおくにぬしのおおかみさま)は、南側ではなく「稲佐(いなさ)の浜」がある西側を向いていらっしゃるそうです。そのため、参拝者は大国主大神様(おおくにぬしのおおかみさま)の横顔を拝むことになります。参拝者の中には、御本殿(ごほんでん)の真西に回り込み、御祭神(ごさいじん)の真正面からお祈りをされる人もいらっしゃいます。

出雲大社の模型

>御仮殿(拝殿)正面

御仮殿(拝殿)側面
出雲大社には 23社ほどの摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)があり、そのうち境内(けいだい)の中には 8 つの摂社(せっしゃ)と 3 つの末社(まっしゃ)があります。摂社(せっしゃ)とは神社の主祭神(しゅさいじん)と特に深い関わりを持つ神様を祀(まつ)った神社で、末社(まっしゃ)は摂社(せっしゃ)に次いで格式のある神社になります。その中でも、本殿(ほんでん)の後ろの一段高い場所に鎮座(ちんざ)している素鵞社(そがのやしろ)(摂社 せっしゃ)は「素鵞(そが)さん」として親しまれており、大国主大神様(おおくにぬしのおおかみさま)の親神(おやがみ)であり伊勢神宮に祀られている天照大御神(あまてらすおおのかみ)の弟神でいらっしゃる須佐之男命(すさのおのみこと)が 祀られています。御本殿(ごほんでん)の後ろから大国主大神様(おおくにぬしのおおかみさま)を見守っていらっしゃるのでしょうか。御本殿(ごほんでん)に参拝した後は、ぜひこちらのほうにも参拝してみてください。

国宝 出雲大社(北側)

天前社、御向社(摂社)

門神社(摂社)

須佐之男命を祀る素鵞社(摂社)

氏社(摂社)

彰古館(出雲大社に伝わる資料を展示)

おしまいに

「八雲立(やくもたつ) 出雲八重垣(いずもやえがき)妻籠(つまごみみ)に 八重垣(やえがき)作る その八重垣(やえがき)を」。この歌は、日本最古の和歌と言われており、須佐之男命(すさのおのみこと)が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して助けた櫛名田比売(くしなだひめと)の新居の宮を造る前に詠んだ歌として伝えられています。歌の中に「出雲」という言葉が登場しますが、出雲の地名はこの歌に由来していると言われています

出雲阿国像(道の駅大社ご縁広場前)

神迎祭のレリーフ(出雲大社大駐車場前)

きれいな花で飾られた竹筒
古来より神話の世界と深いかかわりがあった出雲の地、そこに鎮座する出雲大社周辺の街中を散策すると色々なものを発見できます。例えば、道の通りに面した家々の軒先には竹製の筒が吊るされています。竹筒には色鮮やかな花で飾られており、楽しみながら街中を歩くことができます。一見、ただの竹筒のようにも見えますが、じつは、出雲大社がある大社町では毎月一日の早朝に稲佐(いなさ)の浜で海水を汲んで身を清め祓う「潮くみ」という禊(みそぎ)の風習があり、その時に使われるのがこの箍(たが)と呼ばれる竹筒で、家に持ち帰った後は花を飾り軒先に吊るし、道を歩く人を「おもてなし」するために昔から使っているそうです。

神楽殿前の日本一の国旗掲揚塔
(高さ 47m)

国引き神話のレリーフ

「ぜんざい」の発祥の地 出雲
今年の夏から秋にかけては、「出雲国風土記(いずもこくふどき)」の中で出雲大社の宮材の産地と記されている吉栗山(よしぐりやま)(出雲市佐田町:標高 340m)から杉の巨木を伐採し、神戸川(かんどがわ)に流して運び、出雲大社に立てる、出雲国風土記(いずもこくふどき)「高層神殿」追体験事業が開催される予定になっています。具体的には 8月25日に15m程度の 3本の杉を水運し、 10月 6日に陸に揚げた杉を出雲大社まで引く「里曳(さとひき)」を開催し、11 月 10 日には「柱立て」を出雲大社で行う予定になっています。高層神殿の 3 本柱をイメージしており、当日は参加者全員で杉の木をロープで引っ張り立てるそうです。参加者を全国から募集しているそうですので、ぜひご参加ください。なお、現在は、将来の遷宮(せんぐう)のために、広島県三次市にある山で植林を行っているそうです。

手水舎

たくさんの絵馬

出雲大社の神紋(二重亀甲剣花菱)
平安時代に貴族の子供たちの教科書として用いられたと言われる幼学書(ようがくしょ)「口遊(くちずさみ)」の中に、「雲太(うんた)、和二(わに)、京三(きょうさん)」という言葉が残されており、その当時一番高い建物は、出雲大社の御本殿(ごほんでん)で次に東大寺大仏殿(とうだいじだいぶつで)ん、その次は平安京の大極殿(だいごくでん)であった言われています。そんな出雲大社で今年、60年ぶりとなる「平成の大遷宮(だいせんぐう)」が行われたことにちなんで、冬、春、夏号と 3回にわたって出雲大社の取材を行いご紹介させて頂きましたがいかがでしたでしょうか。昨年の暮れに会長から取材依頼があり、その大役に身が縮む思いをしていましたが、なんとか取材を終えることができ安堵しております。拙文(せつぶん)で読みにくい箇所があったと思いますが、最後までお付き合い頂き本当にありがとうございました。最後に、出雲大社にご参拝された皆様方に、良きご縁がありますことを心よりお祈りしております。

東の十九社

結婚式などが行われる神楽殿

神楽殿の日本一の注連縄
(長さ 13m)